年次有給休暇(有休)取得時の支払い賃金
第○条 年次有給休暇の取得期間は、労使協定を締結し、健康保険の標準報酬日額を支払う。
1 有休取得時の支払い賃金についての労基法の考え方
有休取得時の支払い賃金に関する労基法の規定は、①所定労働時間労働した場合に支払われる通常の賃金、②平均賃金、③健康保険法の標準報酬日額(ただし③にする場合は労使協定が必要)のいずれかから選択することとなっています。
これ、(社労士にとっては常識ですが、)社労士の(事業主への)関与率が一般に30%程度と言われていることもあってか、(社労士以外で)普段給与計算を担当しているような人でさえ、このことを知らない人の割合がかなり多いと実感しています。
また、このことを知っていて『平均賃金や標準報酬日額にすればと今より抑えられるのに…』と内心思っている社労士としても、労働者の不利になるような労働条件の変更そのものが、労働契約法の考え方からも慎重に取り掛かる必要があること、
更には、今より条件が不利となる場合の従業員さんの抵抗感、また変更による事務負担増を嫌がるだろうという給与事務担当者の抵抗感、そういう有形無形のものも頭をかすめますので、なかなか言い出せずにいたりします。
一方、経営者さんとお話しすると『支払っている賃金に見合った成果を上げてもらえていない人がいる』と感じられているような場合が少なくありません。
従業員さんがフルに働いていても、払い過ぎと感じる人がある状況なので、(特にそういう人について)『働いていない日にまで、どうしてお金を払わないといけないんだ!!』と感じられている場合も、ごく普通にあります。
事業を興した後はこのような状況だったりしますので、事業の立ち上げ期など、会社のルールをこれから作るような段階であれば、ぜひこの3つの長所短所を踏まえてご検討いただくと良いのではと思っています。
これまで私が、ごく起業直後の経営者さまにこれらをご説明すると、かなりの確率で「③の健康保険法の標準報酬日額」を選択されたりする訳ですが、なぜそのような結論に落ち着くか、次に試算を交えてご説明します。
2 ①②③を簡単に比較・試算してみました
【仮条件】試算を分かりやすくするため、月給168,000円(日給ベース8,000円×月21日勤務)と仮定します。
①通常の賃金 =8,000円
②平均賃金 =5,600円(=168,000円×3か月÷90日として)
③標準報酬月額=5,670円(=168,000円⇒標準報酬月額17万円として)①通常の賃金との差額(②③が①と同額となるまでの余力)
①と②を比較=72,000円{(8,000円-5,600円)×90日÷3か月}
①と③を比較=69,900円{(8,000円-5,670円)×90日÷3か月}②③が①通常の賃金と同額になるために必要な残業時間
①と②を比較=57.6時間{72,000円÷1,250円(=1000円×割増率1.25)}
①と③を比較=55.9時間{69,900円÷1,250円(=1000円×割増率1.25)}(注)平均賃金や標準報酬日額の計算では、手当も含めて計算する必要がありますので、残業時間が上記の時間より短くなる場合でも、その他の手当が支給されているような場合は、当該手当分を考慮する必要があることには注意が必要。
【試算結果】36協定の原則の限度時間である45時間を超える水準(55.9時間以上)の残業が常時発生しない状況であれば、②平均賃金又は③標準報酬日額の方が、年次有給休暇(有休)取得時の支払い賃金は安くなる。
いかがでしょうか? 残業の多い少ない、手当の種類や額の多い少ないにより、試算は変わってきますが、概ねこのような試算結果となります。
3 ②平均賃金・③標準報酬日額 を採用する場合の壁
それでは次に、(この3つを知らないから採用していない場合は別として)なぜ②平均賃金又は③標準報酬日額があまり採用されていないのでしょうか?
まず②平均賃金が採用されない理由は、平均賃金の計算そのものが「原則、支払い事由の発生した日以前3か月間に支払われた賃金の総額を、その期間の総日数(暦日数)で除して求める」という、非常に面倒な考え方になっていることが、その主な原因と思われます。
すなわち、“賃金を支払う期間に有休があれば、その都度個別に計算しないといけない” という、給与事務担当者へ多大な負担をかけることが、導入に踏み切れない理由と思われます。
平均賃金の計算には最低保障額の考え方もあるためか、有休取得時の支払い賃金を平均賃金と指定でき、それを自動的で計算してくれる給与ソフトは、私は知らないですし、そもそもプログラムし切れないとも思います。(もし存在していましたら、ぜひ教えてください!!)
何せ平均賃金の計算方法の解説のみで1冊の本になっているくらいですから…
一方の③標準報酬日額があまり採用されない理由は、どこにあるのでしょうか?
これはおそらくですが、“労使協定を結ばないといけない” という、よく分からん条件がついているので、敬遠されているのではと思います。
ですがその書式は「年次有給休暇手当の支払いに関する労使協定」などと検索すれば、ネットでもすぐに拾えますし、あとは36協定の要領で締結すれば済みます。(監督署への届け出不要)
ん、御社も36協定は締結されていますよね? なら大丈夫と思います。
標準報酬日額ですと、概ね1年間は金額を固定できますし、給与事務担当者の負担も(平均賃金に比べれば)だいぶ軽減できますね。
よって私はこの③標準報酬日額の採用をお勧めすることが多くなるのです。
4 ③標準報酬日額 を採用したい場合のもう1枚の壁
上記の理由で③標準報酬日額を採用するのはいいんだけど、『健康保険に加入していないパートさんはどうしたらいいの!?』という、もう1枚の壁があります。
『健康保険未加入のパートさんも、一般的な標準報酬日額の算定方法に当てはめて、有休の賃金を支払うことは許されるのではないか?』
これは個人的に、以前から疑問に思っていて、相談員時代に、よく教えていただいた監督官に疑問をぶつけたことがあります。
なぜなら「労働基準法解釈総覧」や「労働基準法コンメンタール(厚生労働省労働基準局編)」を読んでみても、このことについては触れてないんですよね ^^;
同監督官はとても真摯な方で、一生懸命調べてくれたのですが(ゴメンなさい ^^;)、その答えは「この疑問に対する公的な見解は存在しないようです」というのがお答えでした。
標準報酬月額を適用したい場合の、健康保険に加入していないパートさんをどうするかについては、ネット記事などでは「健康保険に加入していないパートさんについては、標準報酬日額そのものが存在しないのだから、結局(その事業所では)適用できないだろう」などと書いてある人もいるようです。
ですがどうでしょうか? その理屈がおかしいとは思いませんが、それはその人の意見に過ぎないと言わざるを得ません。だって、その見解を裏付ける根拠が上記のとおり存在しないからです。
ここで大事な事実は「公的な見解は存在しない」こと、それはすなわち、仮にそのような取り扱いをしていたとしても、それは “何の法令や通達にも違反していないため” 労働局から法違反などで指導されることは無いだろうということを意味します。
少なくとも、法が明文で認めているものを、「1名でもパートさんがいたら、標準報酬日額方式を採用できない」と考える必然性・根拠は、現状で存在していないのです。
一方で、この賃金については「労働者各人についてその都度使用者の恣意的選択を認めるものではなく…」(S27.9.20基発675号ほか)という通達があることから、例えば「正社員は社会保険の標準報酬日額、パートは通常の賃金」といった、労働者の属性等によって異なる賃金を支払うことは、おそらくは法の考えとして望ましいものと考えられてはいないと思われます。
以上によりまして、このようなお話しをした結果、自分のお客さまが③標準報酬日額を選択される場合は、私は下記のような一文を、労使協定に入れるようにご案内しています。
この場合において、健康保険に加入していない従業員については、仮に健康保険に加入しているものとした場合の、標準報酬日額に相当する金額を算定して支払う。
仮に、一部の労働者が『これはおかしいのではないか?』等と労働局に相談に行かれたとしても、上記の理由により、指導などには至らないだろうと思っておりますし、今後万一、法改正や新たな通達・裁判例などがあった場合は、その際に修正対応すれば足りると考えております。
もっとも。今は社会保険の適用拡大が進んでいますので、以前よりは③標準報酬日額を採用しやすくなっている状況もあります。
5 ③標準報酬日額 採用の副次的効果
ここまで書いてきましたが、『こいつ、会社寄りのブラックな社労士だなぁ!』と思われてるかも知れませんね…(はい、それ正解です 笑)
ですが本心は、『有休取得時の支払い賃金を下げることによって、事業主さんも(有休を)認めやすい・従業員さんも取り易い』『結果、従業員さんも適度なリフレッシュが図られ、その定着につながる』といった循環が生まれることも、その一部では期待してお勧めしています。
もう半分は、お金は休むことで稼ぐのでなく、仕事で会社への貢献を認めてもらって(昇給や賞与などで)稼ぐべきとも思っています。
(私もそうですが)自営業ですと、仕事せずにお金もらえる…なんてことは無いんですから…(ん、最後にブラックに突き放しました? ^^;)
(注) 直近の労働基準法改正案において、「通常の賃金方式を原則化(一本化)する方向」で検討されているようですので、実際に導入される時点では、最新情報のご確認をお願いいたします。
